Writer In The Dark: Wie Wir Werden, Was
Sie Sind
─Seibun Satow
ecce homo
Ja, ich weiß, woher ich stamme!
Ungesättigt gleich der Flamme
Glühe und verzehr ich 
Licht wird alles, was ich
fasse,
Kohle alles, was ich lasse:
Flamme bin ich sicherlich!
Friedrich Wilhelm Nietzsche 
 Criticism…fuck!
T Warum sie so weise sind.
First. We pass through grass
behush the bush to. Whish! A gull. Gulls. Far calls. Coming, far! End here. Us
then. Finn, again! Take. Bussoftlhee, mememormee! Till thous- endsthee. Lps.
The keys to. Given! A way a lone a last a loved a long the 
1922-1939. 
(Jams Joyce “Finnegans Wake” W 628)
 坂口安吾は、『花田清輝論』(一九四七)で、花田清輝について次のように述べている。
 花田清輝の名は読者は知らないに相違ない。なぜなら、新人発掘が商売の編輯(へんしゅう)者諸君の大部分が知らなかったからである。知らないのは無理がないので、花田清輝が物を書いていた頃は、彼等はみんな戦争に行っていのだから。
 同様のことが佐藤清文にも言える。佐藤清文の名は「読者は知らないに相違ない。なぜなら、新人発掘が商売の編輯者諸君の大部分が知らなかったからである」。
In the days of my youth
I was told what it means to be
a man,
Now I've reached the age
I've tried to do all those
things the best I can.
No matter how I try,
I find my way into the same old
jam.
Good Times, Bad Times,
You know I had my share;
When my woman left home
For a brown eyed man,
Well, I still don't seem to
care.
Sixteen: I fell in love
With a girl as sweet as could
be,
Only took a couple of days
 
Till she was rid of me.
She swore that she would be all
mine
And love me till the end,
But when I whispered in her ear
I lost another friend, oooh.
I know what it means to be
alone,
I sure do wish I was at home.
I don't care what the neighbors
say,
I'm gonna love you each and
every day.
You can feel the beat within my
heart.
Realize, sweet babe, we ain't
ever gonna part
(Led Zeppelin “Good Times, Bad Times”) 
 われわれはすべて目を通しているのだが、残念ながら、
 The price you pay for bringing up either
my Chinese or my American heritage as a negative is, I collect your bloody
head, just like this idiot here. Now if any of you got anything else to say,
now’s the time.
 あの映画でこう啖呵を切るルーシー・リューが扮するオーレン・イシイは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの『魔笛』における「夜の女王(Königin der Nacht)」を彷彿とさせる。
O zittre nicht, mein lieber
Sohn !
Du bist unschuldig, weise,
fromm
Ein Juengling so wie du vermag
am besten
Dies tiefbetruebte Mutterherz
zu troesten
Zum Leiden bin ich auserkoren
Denn meine Tochter fehlet mir
Durch sie ging all mein Glueck
verloren
Durch sie ging all mein Glueck
verloren
Ein Boesewicht
Ein Boesewicht entfloh mit ihr
Noch seh' ich ihr Zittern
Mit bangem Erschuettern
Ihr aengstliches Beben
Ihr schuechternes Streben
Ich musste sie mir rauben sehen
Ach helft ! ach helft ! war
alles, was sie sprach
Allein vergebens war ich Flehen
Denn meine Hilfe war zu schwach
Denn meine Hilfe war zu schwach
Du, du, du wirst sie zu
befreien gehen
Du wirst der Tochter Retter
sein
Du wirst der Tochter Retter
sein
Und werd' ich dich als Sieger
sehen
So sei sie dann auf ewiig dein
So sei sie (coloratura) dann
auf ewig dein
So sei sie dann auf ewig dein
 
 佐藤清文が批評に興味を覚えるようになったのは柄谷行人の『マルクスその可能性の中心』の序章の次の一節を読んでからである。
 すべての著作家は一つの言語・論理の中で書く以上、それに固有の体系をもつ。しかし、ある作品の豊かさは、著作家が意識的に支配している体系そのものにおいて、なにか彼が「支配していない」体系をもつことにある。それこそ、マルクスがラッサール宛ての手紙でいったことである。私にとって、マルクスを読むことは、価値形態論において「まだ思惟されていないもの」を読むことなのだ。
 基本的に、私はマルクスをそれ以外のいかなる場所でも読まないだろう。マルクスをその可能性の中心において読むとは、そういうことにほかならない。
 この脱構築に影響された認識は、作品には読み方があり、それ自身を考えることが読むという行為なのだと佐藤清文に聞こえている。彼にとって、柄谷行人なくして、批評はありえない。「柄谷のおもしろいところは、何をやっても愛嬌があって、ちょっととんちんかんなようで、なにかしらこちらがう−んと考えさせられるというところです。彼はムチャクチャ言っても済んじゃうわけです。『あの頃、ちょっとぼく、頭がおかしくなっててね』とか言うと、みんな喜んじゃうんです。そういうイメージがあるから、かなりきついことを言っても愛嬌があるんです」(森毅『元気印の評論家たち』)。佐藤清文は、それ以来、批評の世界に耽っていく。
 
Words are flowing out like
endless rain into a paper cup
They slither wildly as they
slip away across the universe
Pools of sorrow, waves of joy
are drifting through my open mind
Possessing and caressing me
Jai Guru Deva OM
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Images of broken light which dance
before me like a million eyes
They call me on and on across
the universe
Thoughts meander like a
restless wind inside a letter box
They tumble blindly as they
make their way across the universe
Jai Guru Deva OM
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Sounds of laughter shades of
live are ringing through my open ears
Inciting and inviting me
Limitless undying love which
shines around me like a million suns
It calls me on and on
Across the universe
Jai Guru Deva OM
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Jai Guru Deva
Jai Guru Deva
Jai Guru Deva
Jai Guru Deva
Jai Guru Deva…
(The Beatles “Across The Universe”)
 佐藤清文がその本を買ったのは偶然にすぎない。「マルクス」の名前がなければ、当時はその聞いたこともない作者の本を買うこともなかったろう。「マルクス」という名前は昔から好きだったからである。若者は反抗的で、反体制でなければならない。“Die Philosophen haben die Welt
nur verschieden interpretiert; es kommt aber darauf an, sie zu verändern” (Karl
Marx “Thesen über Feuerbach “XI).
 本を読むようになったのにも同様の事情がある。活字よりも生身の女性のほうがいいに決まっている。『PLAYBOY』誌と共に育った佐藤清文は、大学に入ったばかりのある日、近所の本屋で、三歳年上の女性に目がとまる。学校は、彼にとって女性を眺め、出合う場所でしかない。徹頭徹尾独学者であり、「ゴーイング・マイ・ウェイ」という言葉は佐藤清文のためにある。何しろ、小学一年生のとき、遠足の帰り、教師が児童の列を引率して左側通行をしようとしたのに対し、人は右側通行するものだと主張して、一人だけ列から離れ右側を悠然と歩いている。彼の父はその光景が忘れられないと述懐している。そんな彼は、ことのほか、背が高く(彼以上の上背を意味し、これこそ「運命の女」である)、胸とお尻が大きい女性が大好きである(これは佐藤清文の好みの問題であって、彼の知人を含めた乳ガンを患った女性への差別ではない)。彼の巨乳好きは筋金入りである。幼い頃、乳離れをしないことに不安を覚えた佐藤清文の母が乳首の周囲に唐辛子を塗って、乳離れをさせようとしている。パブロフの犬の実験を応用したというわけだ。何も知らないかわいい坊やが、いつも通り、おっぱいを銜えた瞬間、口の中が焼けるような感じに襲われ、水道に直行している。彼の母は自らの賢さに満足していたが、しかし、それは後に佐藤清文になる幼児である。次からは、水の入ったコップを持参して、お乳にしゃぶりつきにやってきている。さすがと言わねばなるまい。その上、以来、彼は辛い物好きになっている。きっと、佐藤清文の顔はルネ・マグリットも『凌辱』のような顔をしているに違いない。ちなみに、それに加えて、顎の形が綺麗で、肩幅が広く、気品のある女性は特に惹かれずにはいられない。当時は年上の女性が好きだったが、左翼なので、「ゆりかごから墓場まで」というビバリッジ報告に従い、今は好みが幅広い。「人を射んとすれば先ず馬を射よ」という偉大な杜甫の『前出塞』の一節を信じ、彼は彼女の友人の小柄な二歳年上の女性に声をかけ、なかなかうまくコミュニケートできるようになっていく。ところが、それを見た「人」が、彼が「馬」の方が好きなのだと勘違いし、気を使うようになってしまう。
When I took you out
I knew what you were all about
But when I did
I didn't mean to turn you on
Now I bring you home
You told me goodnight's not
enough for you
I'm sorry baby
I didn't mean to turn you on
No, I didn't mean to turn you
on
You read me wrong
I wasn't trying to lead you on
Not like you think
I didn't mean to turn you on
I know you
Were expecting a one night
stand
When I refused
I knew you wouldn't understand
I told you twice
I was only trying to be nice
Only trying to be nice
Ooh, I didn't mean to turn you
on
Babe now why should I
Feel guilty 'cause I won't give
Guilty 'cause I won't give in
I didn't mean to turn you on
Ooh, I didn't mean to turn you
on
When I took you out
I knew what you were all about
But when I did
I didn't mean to turn you on
No, I didn't mean to turn you
on
I didn't mean to turn you
on....
(Robert Palmer “I Didn’t Mean To Turn You On”)
 佐藤清文は自分の気持ちに正直──旅行先のアラブ人たちが彼と並んでいると「コピー」と呼ぶ容貌をしている父親の言葉を借りると、「相当にチャランポランで、軽い男」──なので、まあそれでもいいかと思い返し、その女性に「ねえ、彼女、ティーでもドリンクしない?」と声をかけると、彼女は「お客様以外とは話をしてはいけないことになっています」と答えてしまったのである。これはいけない。適当に「またね」とでも言っておけば、それっきりだったかもしれない。けれども、彼はプライドが高い。「ニャニオー!」と心の中で叫び、「お客ならいいんだな」と彼のファイトに火がついてしまう。
 ほぼ毎日、佐藤清文はその本屋に通い、アタックしている。いつものように、彼が「ねえ、彼女、ティーでもドリンクしない?」と「サカナくん」こと宮沢正之のような調子はずれの声を上げて手を振ると、「今日は何を御購入ですか、お客様!」とにこやかに返す光景が繰り返される。それは、現在であれば、「ストーカー」と呼ばれるかもしれないが、『超人ハルク』や『デビルマン』を別にすれば、一九八〇年代後半、その言葉は偉大なアンドレイ・タルコフスキーの名作を意味している。あの緑は素晴らしい。『マトリックス』三部作が登場するまで、『ストーカー』では最も効果的に緑色が使われている。
 ...ибо то, что вы называете страстями,
есть не душевная энергия, а лишь трение между душою и внешним миром...
...Не душевная энергия, а лишь
трение между душою и внешним миром. 
(Андрей Арсеньевич Тарковский “Сталкер”)
 彼女に「バカに見られたくない」という浅はかな思いから、買う書籍は安価で知的に見られるものに限定している。プラトンはいいが、五木寛之はダメという具合だ。ところが、『国家』を読んだところで、「イデア?見えねえよ、そんなもの。何たわけたこと言ってんだ、このオッサンは」という体たらくである。もっとも、佐藤清文は、つい最近、「いい、大きいから『おっぱい』て言うんだよ。ちっちゃいのは、『ちっぱい』。Fカップ以上あって、『おっぱい』と呼べるんだよ。わかる?だから、おっぱいのイデアが見えるようなおっぱいが好き」と発言し、彼のファンで、一回りほど年下の眼の大きな女性から「マジで怖い!」と言われているから、明らかに進歩している。そんなときに、飛びこんできたのが先の一節だったのである。
 本屋の彼女とは何度かお茶を飲んだものの、『人間革命』なる書物を傑作と見なしている点等の相違があり──彼女から、当時で全一〇巻にも及ぶその書物を三度読めと勧められ、馬鹿正直にも彼はその通りにしている──、うまくいかず、ギョーム・アポリネールの『ミラボー橋(Le pont Mirabeau)』を口ずさむことになる。
 Sous le pont Mirabeau coule la Seine.
 Et nos amours
 Faut-il qu'il m'en souvienne
 La joie venait toujours apres la peine
 
 Les jours s'en vont je demeure
 Les mains dans les mains
     
 Tandis que sous le Pont
     de nos bras passe
 Des eternels regards l'onde si lasse
 
 Les jours s'en vont je demeure
 L'amour s'en va comme cette eau courante
 L'amour s'en va comme la vie est lente
 Et comme l'Esperance est violente
 
 
 Les jours s'en vont je demeure.
 Passent les jours et passent les semaines
 Ni temps passe
 Ni les amours reviennent
 Sous le pont Mirabeau coule la Seine
 
 Les jours s'en vont je demeure.
 その後、就職活動をバブル経済の最後の年である一九八九年に始めたものの、五〇社以上回った挙げ句、失敗する。あの好景気に就職できなかった人物を佐藤清文は自分以外知らないと言っている。さらに、ある一つ年下の女性に失恋し、精神が壊れてしまう。大学時代、一日に七人(なぜかすべて留学生だったが、フランソワ・オソン監督の映画『8人の女たち(8 Femmes)』を見てから、八人でなくてよかったと安堵している)とデートしたこともあるこのスチャラカチャンも「あまりに人間的、人間的」だったというわけだ。「悲しい涙は目より出て、無念の涙は耳からなりとも出るならば、言わずと心見すべきに、同じ目よりこぼるる涙」(近松門左衛門『心中天網島』)。どう見ても、精神に異常をきたしている。眼が覚めていると知覚が狂い、眠っても悪夢しか見ない。どんどん精神が追いこまれていく。それを治療するために第三の世界を必要として、狂気に苦しむ漱石が『吾輩は猫である』を書いたように、長嶋茂雄論「生きられた超人」を執筆し、狂気の闇に沈むことに踏みとどまる(彼は、どちらかと言うと、犬を飼うタイプである)。テロリズム論「WANTED: DEAD OR ALIVE」や鉄腕アトム論「I LOVE YOU, MR.
ROBOT」、日本近代文学論「The End of Asia」と並んで、何度か活字化の話もあったいい作品であり、是非読むことをお勧めする。ただ、このときのオチは「If you build it, he will come」である。長嶋が復帰するのはその年の秋のことであり、後に、修正している。「理性の破壊(Die Zerstörung der Vernunft)」(ジョルジ・ルカーチ)の間、多くの人に迷惑をかけ、世話になったことに謝罪と感謝を伝えたいと佐藤清文は言っている。彼は、あれ以来、高所恐怖症と体重増加という罰に苦しめられている。二〇〇四年一一月二一日、退職教職員組合からの要請を受けて教育基本法改悪反対のデモ行進をすることになった母親から、「また太ったんじゃない?お前は少し運動不足だから、運動したほうがいいね」と言われて、一緒に銀座をデモの中で歩いている。彼は黒い皮のコートに赤いシャツ、濃紺のジーンズ、カーキ色の靴、黒いサングラスをかけて、ガムを噛み鳴らし、ポケットに手を突っこみながら、銀座の皆さんに愛想をふりまいている。あれはいいウォーキングだったと言わねばばるまい。何しろ、ついこの間も、法事の前日に、息を止めなければパンツのウェストが入らないことが判明し、あそこの食事を逃してはならないと、あわてて仕立て屋に飛びこみ事なきを得たとわれわれは聞いている。献杯の日本酒から、予想通り、美味しかったという彼の説明をうんざりするほど受けたことは言うまでもない。
All the world ’s a stage,
And all the men and women
merely players. 2
They have their exits and their
entrances;
And one man in his time plays
many parts,
His acts being seven ages. At
first the infant,
Mewling and puking in the
nurse’s arms.
And then the whining
school-boy, with his satchel
And shining morning face,
creeping like snail
Unwillingly to school. And then
the lover,
Sighing like furnace, with a
woful ballad
Made to his mistress’ eyebrow.
Then a soldier,
Full of strange oaths and
bearded like the pard;
Jealous in honour, sudden and
quick in quarrel,
Seeking the bubble reputation
Even in the cannon’s mouth. And
then the justice,
In fair round belly with good
capon lined,
With eyes severe and beard of
formal cut,
Full of wise saws and modern
instances;
And so he plays his part. The
sixth age shifts
Into the lean and slipper’d
pantaloon,
With spectacles on nose and
pouch on side;
His youthful hose, well saved,
a world too wide
For his shrunk shank; and his
big manly voice,
Turning again toward childish treble,
pipes
And whistles in his sound. Last
scene of all,
That ends this strange eventful
history,
Is second childishness and mere
oblivion,
Sans teeth, sans eyes, sans
taste, sans everything. 
(William Shakespeare “As You Like It” Act ii. Sc. 7)
 ただ、佐藤清文は、昔から、祭や儀式によって精神状態が不安定になるため、日常的な繰り返しが好きといういささか風変わりでもある。なのに、その頃、彼のアパートは神社の隣にあり、祭の間中、アルコールに酔っていなければ、正気を保てない有様である。家族以外の誰かがいなければ、クリスマスや正月に、日常的な一日として、カレーライスを食べることにしている。加齢と共に、緩和してきたが、依然としてイベントやパーティーが大嫌いだ。彼の無神論はそのイベント嫌いに起因している。
 おまけに、その神社には大きな杉の木が数多くあったが、彼は花粉症である。それを「悪魔の木」と呼んで呪い、アパートを出る日を待ち望んでいたが、一二年もそこに住み続けることになってしまう。すべては貧しさに負けたせいである。
 就職活動で落ちた企業は、その後も増え続け、延べ三〇〇社をゆうに超える。野村芳太郎監督の『大学は出たけれど』を地でいっている。どこに出しても恥ずかしくない堂々たる人生の落伍者であり、日本近代文学の保守本流の生活不能者である。平野謙が見たら涙を流して頬擦りしたくなることだろう。ハワード・ヒューズばりの謎めいた生活を試みたものの、経済力が追いつかず、メルヴィン・デュマル(Melvin Dummar)もいまだに現われていない。弟が購入したマンションに妹と共に三年ほど居候していたものの、新郎として新婦を迎えることになったため、「兄ちゃん、悪いんだけど」とコンピューターを手切れに追い出されてしまう。情けないことに、
 В Гороховой улице, в одном из больших
домов, народонаселения которого Стало бы на целый уездный город, лежал утром в
постели, на своей квартире, Илья Ильич Обломов.
 Это был человек лет тридцати двух-трех от
роду, среднего роста, приятной 
наружности, с темно-серыми глазами, но с отсутствием всякой определенной
идеи, всякой сосредоточенности в чертах лица. Мысль гуляла вольной птицей по
лицу, порхала в глазах, садилась на полуотворенные губы, пряталась в складках
лба, потом совсем пропадала, и тогда во всем лице теплился ровный свет
беспечности. С лица беспечность переходила в позы всего тела, даже в складки
шлафрока.
(Иван Александрович Гончаров "Обломов")
 そうしている佐藤清文は、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの如く、生成したいと願っている。古代ギリシア人のように、思索を楽しみ、ローマ人のように、風呂に入り、アラブ人のように、おしゃべりをし、ガーナ人のように、太っ腹で、インド人のように、芸術に触れ、中国人のように、食事を味わい、アイルランド人のように、酒に溺れ、琉球人のように、健康で、アメリカ人のように、前向き、オーストラリア人のように、おおらかに、コスタリカ人のように、平和を愛し、いや、世界と歴史を感受したいと思っている。
Chorando se foi quem um dia so
me fez chorar
Chorando se foi quem um dia so
me fez chorar
Chorando estara ao lembrar de
um amor
Que um dia nao soube cuidar
Chorando estara ao lembrar de
um amor
Que um dia nau soube cuidar
A recordacao vai estar com ele
aonde for
A recordacao vai estar pre
sempre aonde zu for
Danca sol e mar guardarei no
othar
O amor faz perder encontar
Lambando estarei ao lembrar que
este amor
Por um dia um instante foi rei
A recordacao vai estar com ele
aonde for
A recordacao vai estar pre
sempre aonde zu for
Chorando estara ao lembrar di
um amor
Que um dia nao soube cuidar
Cancao riso e dor melodia de
amor
Um momento qu fica no ar
(Kaoma “Lambada”)
 ということで、佐藤清文は批評を女性によってしか書けない。今までの説明と決して脈絡がないわけではない。もともと佐藤清文が批評を書き始めたのは、宇野千代を研究している一〇歳上の美しきアメリカ人女性との出会いである。『Shall We ダンス?』さながらに、彼女の勧めが佐藤清文を書くことに向かわせている。佐藤清文は、ハワード・ホークスやリドリー・スコットが映画監督してそうであるように、すべてを批評家の眼で認識する。佐藤清文は、不定期ながら、編集にも携わっているが、そこでもついつい批評家として考えてしまう。その上で、彼は、女性を通じて、世界を見る。それを記したのが批評である。彼の批評は、その作品ごとに、具体的な女性がいる。梶井基次郎論「冴えかえった色彩」は、彼が出会った中で最も綺麗で、エキゾティックな魅力を兼ね備えた四歳年下の日本人女性によって、書かれている。「美人」とはああいう女性を指す。エクセレントだ!逆に、女性がいなければ、書けないというのだから、世話がやける。しかし、何とも愛らしい。
Well she's all you'd ever want,
She's the kind they'd like to
flaunt and take to dinner.
Well she always knows her
place.
She's got style, she's got
grace, She's a winner.
She's a Lady. Whoa whoa whoa, She's
a Lady.
Talkin' about that little lady,
and the lady is mine.
Well she's never in the way
Something always nice to say,
Oh what a blessing.
I can leave her on her own
Knowing she's okay alone, and
there's no messing.
She's a lady. Whoa, whoa, whoa.
She's a lady.
Talkin' about that little lady,
and the lady is mine.
Well she never asks for very
much and I don't refuse her.
Always treat her with respect,
I never would abuse her.
What she's got is hard to find,
and I don't want to lose her
Help me build a mansion from my
little pile of clay. Hey, hey, hey.
Well she knows what I'm about,
She can take what I dish out,
and that's not easy,
Well she knows me through and
through,
She knows just what to do, and
how to please me.
She's a lady. Whoa, whoa, whoa.
She's a lady.
Talkin' about that little lady
and the lady is mine.
Yeah yeah yeah She's a Lady
Listen to me baby, She's a Lady
Whoa whoa whoa, She's a Lady
And the Lady is mine
Yeah yeah yeah She's a Lady
Talkin about this little lady
Whoa whoa whoa whoa
Whoa and the lady is mine
Yeah yeah She's a Lady
And the Lady is mine.
(Tom Jones “She’s A Lady”)
U Warum sie so klug sind.
 佐藤清文がこうしてぶらぶらしていられるには理由がある。彼の父方の祖々母の兄は及川あまきという俳人である。全国的には無名だが、岩手県北上市に石碑があり、石川啄木の盛岡中学時代における同級生の最後の一人である。彼はあまき論「白馬非馬」を書いている。また、母方の祖父は宮沢賢治の出身地域で獣医をしている。佐藤清文は、幼い頃から、啄木の話を聞かされ、賢治の実家の辺りを歩いていたというわけだ。二人の不運な最高の作家のおかげで、先立つもののことではいつも責められているが、佐藤清文が批評を書くこと自体の反対は周囲からまったくない。
My child arrived just the other
day,
He came to the world in the
usual way,
But there were planes to catch
and bills to pay,
He learned to walk while I was
away
And he was talking 'fore I knew
it and as he grew
He'd say I'm gonna be like you,
Dad
You know I'm gonna be like you
And the cat's in the cradle and
the silver spoon
Little boy blue and the man on
the moon
When you coming home dad, I
don't know when,
But we'll get together then
You know we'll have a good time
then
My son turned ten just the
other day,
He said thanks for the ball,
dad, come on let's play
Can you teach me to throw, I
said not today
I got a lot to do, he said
that's OK
And he, He walked away, but his
smile never did, and said
I'm gonna be like him, yeah
You know I'm gonna be like him
And the cat's in the cradle and
the silver spoon
Little boy blue and the man on
the moon
When you coming home dad, I
don't know when,
But we'll get together then
You know we'll have a good time
then
Well, he came from college just
the other day,
So much like a man, I just had
to say
Son, I'm proud of you, can you
sit for a while
He shook his head, and he said
with a smile
What I'm feeling like, dad, is
to borrow the car keys
See ya later, can I have them,
please
And the cat's in the cradle and
the silver spoon
Little boy blue and the man on
the moon
When you coming home son, I
don't know when,
But we'll get together then,
dad
You know we'll have a good time
then
I've long since retired, my
son's moved away
I called him up just the other
day
I said I'd like to see you if
you don't mind
He said I'd love to dad, if I
could find the time
You see my new job's a hassle,
and the kids have the flu
But it's sure nice talking to
you dad
It's been sure nice talking to
you
And as I hung up the phone, it
occured to me
He'd grown up just like me
My boy was just like me
And the cat's in the cradle and
the silver spoon
Little boy blue and the man on
the moon
When you coming home son, I
don't know when,
But we'll get together then,
dad
We're gonna have a good time
then
(Jim Croce “Bad, Bad Leroy Brown”) 
 佐藤清文のパラサイトぶりというか、引き籠りぶりは表彰したくなるくらいだ。部屋にあるほとんどが貰い物で成り立っている。システム・キッチンに置かれているオリーブ・オイルは弟の新婚旅行のお土産だし、ガス・レンジの下の戸棚にある「宮田昭一の無添加こだわりカレー」五パックとブランデー・ケーキ一本は従妹の結婚式の引き出物であり、PAMの冷蔵庫に入っているオランダ・チーズ三個は妹の食べ残しである。また、食器も不揃いで、どう見ても、自分で買ったとは思えない。第一、コーヒー・カップに、MISTER DONUTS、ジョッキにはGUINSS、箸の上においてはSUNTORY、フォークとナイフはKLMのロゴがそれぞれついている。衣服にしても、コートからセーター、シャツに至るまで、兄弟や両親、親戚、友人からの貰い物である。自分で買うのはリーバイスとへインズ、ジャック・パーセルくらいだと彼は言っている。サイズやデザインには統一感がまったくない。黒のVネックのセーターにグレーのスタンド・カラーの六分袖のシャツ、白の綿のロング・コートを着て外出するのだから、恐れいる。寝巻きは母方の祖母が縫った浴衣であるけれども、それを着ている姿はバカボンか変なガイジンにしか見えない。宅急便の配達員がそんな彼を見ていつもぎょっとするのもうなずける。
 ぼくの好みから言えば、どこかにおかしみのあることで、人柄にふくらみができる。ぼく自身については、いくらかナルシストなのかもしれぬが、失敗をすると、こんなドジをする自分はかわゆいと思ってしまう。自分で自分を笑ってあげたい。それを「道化的理性」と名づけたことがあるが、自己批評は道化になることで生まれる。自分史にあっては、自分にとっての道化であることによって、時代を歴史することができる。そして、物語は他人が読むものだが、最初の読者としての自分が他人になることで、生き方にゆとりが生まれる。これも、自分史の効用。
 物語の読者としての自分のことを考えてみると、そこになにかしらの普遍性を求めてもいる。特定の時代の特定の社会の歴史の反対に、物語にあっては「あるときあるところに」で、時代や社会が確定しないこともある。自分史が物語であるのは、「あるときあるところに」ぼくは暮らしていましたという、普遍性を持つことでもあろう。考えてみれば、特定の時代の特定の社会の歴史であっても、それが「あるときあるところで」という物語性を持つことで普遍性を持つことができる。文学で登場人物が作者の分身であるとはよく言われることだが、他人と自分の役割交換も自分史においていちじるしい。
(森毅『自分史』)
 佐藤清文が作品を書くためにキーボードを叩いている間、ガムを噛み鳴らし、音楽をかけ、画集を広げ、テレビで放送大学をつけている。さらに、ラジオが加わるときもある。その合間に、日に最低二本の映画も欠かさない。ちなみに、彼が最も好きな映画はサイモン・ヴィンサー監督の『ザ・ファントム/闇の帝王(The Phantom)』である。とにかく、笑える!ただ、彼が映画史を論じるとしたら、フリッツ・ラング監督の『リリオム(Liliom)』にページを割いても、この作品には一切言及しないだろう。佐藤清文はこれらを「アート・ドーピング」と呼んでいる。特に、彼はメニッポス的諷刺を体現したグレン・グールドのピアノを愛している。
G.G.: On the contrary, I think
we've performed a set of variations on that theme and that, indeed, we've
virtually come full circle.
g.g.: In any event, I have only
a few more questions to put to you, of which, I guess, the most pertinent would
now be: Apart from being a frustrated member of the board of censors, is any
other career of interest to you?
G.G.: I've often thought that
I'd like to try my hand at being a prisoner.
g.g.: You regard that as a
career?
G.G.: Oh, certainly -- on the
understanding, of course, that I would be entirely innocent of all charges
brought against me.
g.g.: Mr. Gould, has anyone
suggested that you could be suffering from a Myshkin complex?
G.G.: No, and I can't accept
the compliment. It's simply that, as I indicated, I've never understood the
preoccupation with freedom as it's reckoned in the Western world. So far as I
can see, freedom of movement usually has to do only with mobility, and freedom
of speech most frequently with socially sanctioned verbal aggression, and to be
incarcerated would be the perfect test of one's inner mobility and of the
strength which would enable one to opt creatively out of the human situation.
g.g.: Mr. Gould, weary as I am,
that feels like a contradiction in terms.
G.G.: I don't really think it
is. I also think that there's a younger generation than ours -- you are about
my age, are you not?
g.g.: I should assume so.
G.G.: - a younger generation
that doesn't have to struggle with that concept, to whom the competitive fact
is not an inevitable component of life, and who do program their lives without
making allowances for it.
g.g.: Are you trying to sell me
on the neotribalism kick?
G.G.: Not really, no. I suspect
that competitive tribes got us into this mess in the first place, but, as I
said, I don't deserve the Myshkin-complex title.
g.g.: Well, your modesty is
legendary, of course, Mr. Gould, but what brings you to that conclusion?
G.G.: The fact that I would
inevitably impose demands upon my keepers -- demands that a genuinely free
spirit could afford to overlook.
g.g.: Such as?
G.G.: The cell would have to be
prepared in a battleship-grey decor.
g.g.: I shouldn't think that
would pose a problem.
G.G.: Well, I've heard that the
new look in penal reform involves primary colours.
g.g.: Oh, I see.
G.G.: -- and of course there
would have to be some sort of understanding about the air-conditioning control.
Overhead vents would be out -- as I may have mentioned, I'm subject to
tracheitis -- and, assuming that a forced-air system was employed, the humidity
regulator would have to be --
g.g.: Mr. Gould, excuse the
interruption, but it just occurs to me that since you have attempted to point
out on several occasions that you did suffer a traumatic experience in the
Salzburg Festspielhaus --
G.G.: Oh, I didn't meant to
leave the impression of a traumatic experience. On the contrary, my tracheitis
was of such severity that I was able to cancel a month of concerts, withdraw
into the Alps, and lead the most idyllic and isolated existence.
g.g.: I see. Well now, may I
make a suggestion?
G.G.: Of course.
g.g.: As you know, the old
Festspielhaus was originally a riding academy.
G.G.: Oh, quite; I'd forgotten.
g.g.: And of course, the rear
of the building is set against a mountainside.
G.G.: Yes, that's quite true.
g.g.: And since you're
obviously a man addicted to symbols -- I'm sure this prisoner fantasy of yours
is precisely that -- it would seem to me that the Festspielhaus -- the
Felsenreitschule -- with its Kafka-like setting at the base of a cliff, with
the memory of equestrian mobility haunting its past, and located, moreover, in
the birthplace of a composer whose works you have frequently criticized, thereby
compromising your own judgmental criteria --
G.G.: Ah, but I've criticized
them primarily as evidence of a hedonistic life.
g.g.: Be that as it may. The
Festspielhaus, Mr. Gould, is a place to which a man like yourself, a man in
search of martyrdom, should return.
G.G.: Martyrdom? What ever gave
you that impression? I couldn't possibly go back!
g.g.: Please, Mr. Gould, try to
understand. There could be no more meaningful manner in which to scourge the
flesh, in which to proclaim the ascendance of the spirit, and certainly no more
meaningful metaphoric mise en sc鈩e
against which to offset your own hermetic life-style, through which to define
your quest for martyrdom autobiographically, as I'm sure you will try to do,
eventually.
G.G.: But you must believe me
-- I have no such quest in mind!
g.g.: Yes, I think you must go
back, Mr. Gould. You must once again tread the boards of the Festspielhaus; you
must willingly, even gleefully, subject yourself to the gales which rage upon
that stage. For then and only then will you achieve the martyr's end you so
obviously desire.
G.G.: Please don't
misunderstand; I'm touched by your concern. It's just that, in the immortal
words of Mr. Vonnegut's Billy Pilgrim, "I'm not ready yet."
g.g.: In that case, Mr. Gould,
in the immortal words of Mr. Vonnegut himself, "So it goes."
(Glenn Gould “Glenn Gould Interviews Glenn Gould about Glenn Gould”)
 佐藤清文はおしゃべりが大好きである。早口で、喋り捲る。その上、トム・ジョーンズの如く、声も、鼻にかかっているものの、大きい。あまりにしゃべるので、口から産まれてきたと揶揄されることもあるけれども、実は、彼は逆子である。もっとも、一歳になる前に話すだけでなく、歌ってさえいる。家族が彼を山の神の生まれ変わりと信じてしまったのも無理からぬことである。最初に完璧に覚えたのはジャッキー吉川とブルー・コメッツの『ブルー・シャトー』である。ただし、一番だけで、二番はいまだに歌えないと言っている。
森と泉に かこまれて 静かに眠る
ブルー、ブルー、ブルー・シャトー
あなたがぼくを 待っている 暗くて淋しい
ブルー、ブルー、ブルー・シャトー
きっとあなたは 赤いバラの バラの香りが
苦しくて 涙をそっと 流すでしょう
夜霧のガウンに つつまれて 静かに眠る
ブルー、ブルー、ブルー・シャトー
ブルー、ブルー、ブルー、ブルー ブルー・シャトー
 「ブルー」と言えば、彼の最も古い記憶はブルーの空気である。それはブルーの物体ではなく、ブルーの色をした雰囲気である。しばらく待つと、そのブルーが緑に変わっていく。彼はそれが何なのかまったくわからなかったけれども、高校生のとき、その光景を母親に話すと、ぎょっとした表情で彼女は絶句してしまっている。斜頚の治療のため、生後すぐマッサージにある診療所に通うことになったが、ブルーは直射日光避けのフィルムが張られた窓の色で、緑は待合室の長椅子の色だと明かしている。
 「ブルー」ついでに、佐藤清文は天気が崩れる一二時間前くらいから、ブルーになり始める。家族は彼の反応によって天気を予想し、ブルーになると、雨に濡れてもいいようにと、ラフな格好をして出掛けていく。彼の弟はその習慣を「ラフ・イズ・ブルー」と呼んでいる。
Bleu, bleu, L'amour est bleu
Le ciel est bleu
Lorsque tu reviens
Bleu, bleu, lamou est bleu
L'amour est bleu
Quand je suis à toi
Doux, doux, l'amour est doux
Douce est ma vie
Ma vie dans tes bras
Doux, doux, l'amour est doux
Douce est ma vie
Ma vie près de toi
Bleu, bleu, L'amour est bleu
Berce mon cœur
Mon cœur amoureux
Bleu, bleu, l'amour est bleu
Bleu comme le ciel
Qui joue dans tes yeux
Comme l'eau
Comme l'eau qui court
Moi mon cœur
Cour après ton amour
Gris, gris, l'amour est gris
Pleure mon cœur
Larsque to t'en vas
Gris, gris, le ciel est gris
Tombe la pluie
Quand tu n'es plus là
Bleu, bleu, L'amour et bleu
Le ciel est bleu
Lorsque tu reviens
L'amour est bleuQuand je suis a
toi
Le vent, le vent gémit
Pleure le vent
Lorsque tu t'en vas
Le vent, le vent maudit
Pleure mon cœur
Quand tu n'es plus là
Bleu, bleu, L'amour est bleu
Le ciel est bleu
Lorsque tu reviens
Bleu, bleu, l'amour est bleu
Quand tu prends ma main
Fou, fou, l'amour est fou
Fou comme toi
Et fou comme moi
Bleu, bleu, L'amour est bleu
L'amour est bleu
Quand je suis à toi
Bleu, bleu, L'amour est bleu
Le ciel est bleu
Lorsque to reviens
Bleu, bleu, l'amour est bleu
L'amour est bleu
Quand je suis à toi!
(Cour Pierre “L'amour est Bleu”)
 嵐が近づくと、逆に、彼はハイになり、気温摂氏四度を切っていると、体の節々の動きが悪く、三〇度を超えると、だるそうにしている。また、地震が迫ってくると、眠れなくなる。ただし、震度の大きさはわからないようで、震度二だろうと、震度五だろうと、同じように目がさえて困るとこぼしている。
 歌以上に、佐藤清文の幼い頃の容姿の美しさはほぼ伝説となっている。当時の彼の写真を見たあるガール・フレンドが「こんなにきれいな子が私の子供に生まれたら困ってしまう」と告げたほどだ。何しろ、彼を抱いて母がいると、あっという間に、女性たちが集まって、人垣ができ、「かわいい!ちょっとダッコさせてくれませんか?」とみんなが言い始めるのが常である。次のようなエピソードが伝わっている。ある日、駅のホームで、母が彼を背負って電車を待っていると、いつものように、女性が集まってきたそうである。ある年配の女性が彼を腕に抱けるという栄誉に恵まれ、そうしてから、彼に対する賞賛の言葉を並べた後、次に若い女性が同じ権利を手にしている。彼女は彼を抱き、近くを歩き回り、彼を母に渡しながら、ほめ言葉を口にして去っていくと、それを聞いた先の女性が怒り始め、こう周囲の人たちに抗議している。「何て女だろう。こんなきれいな子にあの程度のことしか言わないなんて!」。二一歳で彼を生んだ母親がそんな息子を着せ替え人形にしていたの言うまでもない。今、佐藤清文が女性からあまり相手にされないのは、あの時期に女性に抱かれすぎたせいだと見られている。エリック・ホッファーは「真に成熟するとは五歳のときの自分に戻ることだと考えている」と書いているが、彼にとっては、三歳のときの自分に戻ることが真の成熟である。
 いかりや長介とザ・ドリフターズをこよなく愛し──身体が弱かったため、ある時期、医師から一週間にテレビは二時間までと限定された際、『仮面ライダー』シリーズと『ウルトラマン』シリーズ、それに『8時だヨ!!全員集合』を選択した彼の批評はドリフをなぞっているにすぎない──、今では、エレベーターの中にいても、エレベータ・ガールにも話しかけずにはいられないのだが、変質者と勘違いされるのが怖くて、おとなしくしている。最もそんな彼の話を聞かせられているのはコンピューターのモニターであろう。同情すべきことに、聞くに堪えない罵詈雑言を浴びながらも、PCはタスクを果たし続けている。雑談をするように、佐藤清文は批評を書いている。
 とは言うものの、佐藤清文はその口八丁手八丁で今に至っている。チワワのクーちゃんのように可愛ければ、問題はないのだが、それを補う必要がある。この特技によって、老若を問わず、女性たちに助けられ続け、両親からは資金援助を引き出している。彼の母親は「お前は人債よ。わかるか?人災じゃなく、人債。それも赤字人債」。なるほど、うまいことを言う。さすがに、彼の母親である。「親に物をねだるのも、社交の一変形なのである。親にとっては、おねだりされるときにその理屈が正しいとか、熱意があるとかいうのは大した意味がないのだ。それらを前面に押し出すことも戦術としては間違いではないのだが、それ一本で押していけばいいというのはかわいげガないし、あまりに単純すぎる」(森毅『男味と女味─集中と分散について』)。
 絶望的に金と仕事に見放されている状況に対して、「なんでこうなったんだい?」とよく問われるが、「運が悪かった」と佐藤清文はいつも答えている。しかし、われわれの見る限り、問題なのは運だけではない。運・見通し・健康の悪さの三拍子がそろった結果、ベトナム戦争さながらの貧乏の泥沼にはまってしまい、多くの友人たちから愛想をつかされている。まあ、こうもうだつがあがらないのでは、「どう、うがいでもしないか?」と飲み屋に誘われても、交通費さえままならないのだから、やむを得ない。
 佐藤清文は自らの批評を「ハッチポッチ・クリティシズム(Hotchpotch Criticism)」、すなわち「ごった煮(ハッチポッチ)批評」と呼んでいる。須知徳平が彼の柳田國男論「やさしい束縛」を「ごった煮」と評したのを気に入って、そう命名したのである。ハッチポッチ・クリティシズムは越境する批評や横断する批評などではない。また、岡実=池山智紀は、ジョン・コルトレーンの「シーツ・オブ・サウンド(Sheets of Sound)」に引っ掛けて、彼の方法を「シーツ・オブ・ノーレッジ(Sheets of Knowledge)」と名づけている。シーツ・オブ・サウンドは「敷き詰められた音」、すなわち「音の洪水」を意味する。評論家アイラ・ギドラーが『ダウンビート』誌に掲載された『ブルー・トレーン』等の作品に対する論考の中で初めて用い、『ジャイアント・ステップス』で完成している。コルトレーンは、コードの細分化を通じて、コードの束縛から逃れようとするモード・イディオムを追求した結果、この奏法を生み出している。コルトレーンばりの佐藤清文の方法論は「地平線」の批評と呼ぶべきだろう。「地平線」は部と外部が決定不能な場所である。寺山修司は、『地平線のパロール』において、「まだだれ一人として、地平線まで行った者はいなかった」と同時に「世界中のだれもが地平線の上に立っている」。地平線は「どこにもなくて、どこにも在るもの」である。そこは中心ではないが、周辺でもない。「辺境部」である。「世界で一ばん遠い場所」であり、内部と外部を分ける境界も意味をなさない。文化は越境の力学によって生まれるのではなく、言語的な表現であれば、「遠近感を言語化することである」。エンターテインメント性も強く、いかなる対象を扱い、文体も自由である。それは「クリティカ・カプリチョーザ (Critica Capricciosa)」、すなわち何でもありの気紛れ批評と見てもいいだろう。須知自身は否定的なニュアンスをこめていたのだが、彼は「混沌のスープ(Chaos Soup)」と呼ばれるルネサンス的精神、すなわち闊達で陽気な精神をもって書いているので、自分の批評にはふさわしい名称と考えている。定職に就かず、パトロン頼りという佐藤清文の生活態度もルネサンス的と言わねばなるまい。
 坂口安吾は、『花田清輝論』において、『復興期の精神』でルネサンスを論じた花田清輝について次のように述べている。
 今度我観社というところから「復興期の精神」という本をだした。マジメで意気で、類の少ない名著なのだが、僕は然し、読者の多くは、ここに花田清輝のファンタジイを見るのみで、彼の傑れた生き方を見落としてしまうのではないかと怖れる。彼の思想が、その誠実な生き方に裏書されているのを読み落とすのではないかと想像する。この著作には「ュウレカ」と同じく見落とされ、片隅でしか生息し得ない傑作の孤独性を持っている。
 先ず第一に思想自体を生きている作家精神の位が違う。その次に教養が高すぎ、又その上困ったことに、文章が巧ますぎる。つまり俗に通じる世界が希薄なのである。
だが、これからは日本も変る。ケチな日本精神でなしに、世界の中の日本に生れ育つには、花田清輝などが埋もれているようでは話にならない。
 花田清輝は、後に、時代を代表する批評家として知られるようになったものの、彼の批評のスタイルは主流にはならなかったが、それは彼が諷刺としての批評を提示したからである。花田清輝は、小林秀雄が告白としての批評を構築したのに対して、諷刺としての批評を展開している。花田清輝の後継者は寺山修司であり、彼らはハッチポッチ・クリティシズムの先行者である。「諷刺を書かないのはつらい(difficile est saturam non
scribere)」(テキムス・ユニウス・ユウェナリス)。
 ハッチポッチ・クリティシズムは、小林秀雄が、『アシルと亀の子U』の中で、「批評するとは自己を語る事である。他人の作品をダシにして自己を語る事である」と言ったことに、必ずしも、与しない。小林秀雄にとって、「他人の作品」は「ダシ」であるが、諷刺的批評家には、スパイスであり、その調合が重要になる。「つまり、ぼくの好みとしては、見ばえのしそうな具はなるべくやめて、ほとんど材料のないようなものがよい。そのかわり、隠し味のほうは存分に贅沢して時間をたっぷりかける。そして、スパイスとその調合を楽しむ。それがつまりは、ぼくの美学でもある。表より裏に金と時間をかけたほうがよいし、スパイスの芸にグルメ道楽をかける」(森毅『さりげなく“教養の隠し味”を利かせられたら一人前』)。
 小林秀雄流の批評だけを批評と信じているものにとって、「批評するとは他者を語る事である。自分の作品をダシにして他者を語る事である」とでも言うべきハッチポッチ・クリティシズムは批評には見えないだろう。「人の味の好みを観察していると、新しい味に関心を示したがる人と、いつもの味で安心したがる人がいるようだ。ぼくの場合は前者のようだが、このあたりもまた、変化と安定の匙加減の問題だろう。変化といっても珍奇であればよいわけでもないし、安定といっても変化を拒否して閉じこもってしまったのではつまらない。夏も冬も同じ味ではすまないように、時代に沿いながら、それでも自分の味を出していくこと。面倒なようでも、それが生きていくということなのだろう」(森毅『「スパイスの利かせ方」がうまい人、へたな人』)。
 佐藤清文の批評は変則を通り越して、同じ伊達者の大瀧詠一と同様、ふざけすぎる場合も少なくない。しかしながら、おちゃめなシャレの一つもわからないで、作家になるべきではない。「楽しむことを学べ(disce gaudere)」。
ナナナ ウナ ウナウナナ(ズキ) ナナナ ウナ ウナウナナ(ズキ)
ナナナ ウナ ウナウナナ(ズキ) ウナナ ウナナ ウナズキ マーチ
今日も元気だ 首すじ軽い 前後左右に 縦横無尽
手塩にかけた このうなじ 明日もうなずきゃ ホームラン
西へ行っては うなずいて 皆 見に来ても うなずいて
北いにこたえ うなずいて 東 ずんでも うなずいた
よしなさい よしなさい よしなさい よしなさい (メモレー)
ウンナナ ウナ ウナウナナ(ズキ) ウンナナ ウナ ウナウナ(ズキズキ)
ウンナナ ウナ ウナ(ズキ ズキ ズキ) ウナナ ウナナ ウナズキ マーチ
ニッコリうなずきゃ あの娘もほれる 誰にも負けない この特技
ウンウンうなずく この迫力で テレビもつられて 上下にゆれる
ひとつ ひとりで うなずいて よっつ よこちょで うなずいて
やっつ やっぱり うなずいて とうで とうとう うなずいた
なんでやネン なんでやネン なんでやネン なんでやネン (コピレー)
ナナナ ウナ ウナナン(ズキ ズキ) ナナナ ウナウナ(ズキ ズキ ズキ)
ナナナ (ズキ ズキ ズキ ズキ) ウナナ ウナナ ウナズキ マーチ
だから男は うなずこう そして女も うなずこう
みんな和になり ほほ寄せて うなずきゃ世界は 日本晴れ
あれをごらんと うなずいて 吹けば飛ぶよに うなずいて 勝ってくるぞと うなずいた
そんなアホな! そんなアホな! そんなアホな! そんなアホな! (テプレー)
ナナナ ウナ ウナウナナ(ズキ) ナナナ ウナ ウナウナナ(ズキ)
ナナナ ウナ ウナウナナ(ズキ) ウナナ ウナナ ウナズキ マーチ
(大瀧詠一『うなずきマーチ』)
 ハッチポッチ・クリティシズムには決まりきった形はない。「ニーチェについて書くことは許されるが、ニーチェのように書くことは禁止されている」アカデミズムには受け入れられないだろう。「何が冗談によって真実を告げることを禁止するのか(ridentem dicere verum, quid
vetat?)」(クイントゥス・ホラティウス・フラックス)。対象やメディアに応じた「匙加減」が重要である。文学テクストが作品として成り立つには、作者=作品=読者の三つの次元が不可欠であるが、これらの中のどれに重点を置くかによって批評の主要な傾向が分かれる。作者に重点を置くのは実証的な伝記的研究であり、作者の生涯との関係において作品を解釈する。作品自体に集中するのは、ロシア・フォルマリズムやニュー・クリティシズムに特徴的な方法である。読者の役割を強調する立場の典型としては、受容理論があげられる。「そうした客との相互関係のなかでしか芸はないもので、それと無関係に芸術が存在するなどと思うのは、芸人としては傲りだろう。このことが文章の芸の場合に、忘れられすぎているような気がする。読者なしの文章なんてない。その雑誌ごとに読者がいるのだ。文章の場合こうしたことが起こりやすいのは、思想だの芸術だのといったものが、著者と読者の関係をこえて存在するという幻想が。強いからではないだろうか。それは、いまだに、活字の呪縛性にたよったインテリの亡霊が生きているのかもしれぬ」(森毅『芸人と小屋』)。批評は、ほかにも、その傾向によって、印象批評=理論的批評(裁断批評)と功利主義的批評(倫理的批評)=審美的批評の二つの機軸で大きく分類できる。前者の区分は、作品を分析する際の批評家の方法の違いによる。印象批評は理論的な方法を用いずに、批評家の個人的な印象に基づいて展開する批評であり、批評家の個性的な芸に負っている。それに対して、理論的批評は、理論的に作品を分析・解釈して作品の価値について判断する試みであり、アリストテレスから二〇世紀の構造主義に至るまで長い伝統がある。アラン・メッター監督の『バック・トゥ・スクール(Back to School)』において、LLサイズの衣料チェーンで成功したロドニー・デンジャーフィールド扮するソートン・メロンはキース・ゴードン演ずる息子ジェイソンの通う大学に入学し、カート・ヴォネガットに関するレポートを金を払って作家本人に書かせて提出したのに、かの「ホット・リップス」役で映画史に残るサリー・ケラーマンのダイアン・ターナー教授に不合格の判定をされている。作者自身が最も自分の作品をわかっているとは限らない。一方、後者の区別は、批評家が文学の本質をどのように考えるかに基づいている。功利主義的批評は文学に実利的価値を求める。ヨーロッパでも日本でも近代以前の文学観は功利主義的であり、文学作品にカタルシスや読者の教化、道徳的教訓といった実益を期待している。この批評は文学作品の価値を倫理や思想内容によって判断することにもつながり、二〇世紀ではマルクス主義批評やフェミニズム批評によって受け継がれていく。反対に、審美的批評は文学に実利的な効用を拒絶し、芸術としての自立した美的価値を探ろうとする。この傾向が誕生するのは、ヨーロッパにおいては、ルネサンスである。文学の価値を倫理や政治に従属させないという点では、現代の批評家の多くは広い意味での審美的批評のヴァリエーションである。作者=作品=読者は互いに三位一体として複雑に関係しているのであって、多くの批評家は、作品を分析する際、いずれかに焦点を合わせるにしても、三つの次元の微妙な絡み合いを考慮している。その上、印象批評=理論的批評と功利主義的批評=審美的批評にしても、それらが融合した批評も少なくない。ハッチポッチ・クリティシズムは、そのバランス感覚を意識的に重視し、対象に応じた「匙加減」をガルゲンフモールとして楽しむ姿勢である。ルーブ・ゴールドバーグ(Rube Goldberg)の「ガジェット(Gadget)」のような批評も、いささか「バッツ博士(Dr. Butz)」になりながら、そうやって愉快に思っている。ただし、批評家は、CIAによるフィデル・カストロの暗殺計画のようなものを立てるべきではない。あれは批評家のすることではない。「芝居を繰り返していくと、どうしても言葉や、そこで相手にしている人間を対象としているからでしょうか、芝居が小さくなっていきます。プロットを運ぶことばかり考えて、芝居が現象的になりがちです。ハードルが芸を競うものに変わってしまいます。映画の形式が強くはたらくところでは、俳優の演技は完結的である必要はありません。むしろ未完のまま、理由づけされないまま、存在としての幅を広げてくれることを演出家は望むのですが、どうしても自分が『わかっているところ』でやりたくなってしまうのです。これは演出の側にもいえることですが、自分の手からなにものかを手離す、その手の離し方が難しいのです」(小栗康平『映画を見る眼』)。
Like a rolling stone
A like a rolling stone
Like the FBI and the CIA
And the BBC… BB king,
And Doris Day,
Matt Busby.
Dig it, dig it, dig it,
Dig it, dig it, dig it, dig it,
dig it, dig it, dig it, dig it.
(The Beatles “Dig It”)
 佐藤清文の批評には大量引用という特徴がある。それも、BGMのように、ポップミュージックや映画、文学、日本語以外の言説からなど大量の引用が作品に招き入れている。
Kilgore: We'll come in low, out
of the rising sun, and about a mile out, we'll put on the music.
Lance: Music?
Kilgore: Yeah, I use Wagner -
scares the hell out of the slopes! My boys love it !
Lance: Hey, they're gonna play
music!
(Francis Ford Coppola “Apocalypse Now”)
 この大量引用がわかりにくいと感じられたなら、それをとばしても、全体の趣旨が取れないことはない。フレデリック・フランソワ・ショパンは、ジャン=ジャック・エーデルディンゲルの『弟子から見たショパン』によると、演奏者に譜面通りに弾くことを求めていない。即興的な装飾音の挿入を本人が好んでいただけでなく、弟子にも勧めている。また、アイルランド出身のジェーン・スターリングはこのポーランドの天才ピアニストからレッスンを受けているが、技術的な制約を持っていたため、『前奏曲』変ニ長調を演奏する際、音符を便宜的に変更する、すなわち難しい部分を簡単に変えるように指導されている。佐藤清文は、ショパン同様、批評への装飾音の挿入が好きである。「漫画は落書精神から発するというが、近ごろは、落書のような楽しい子供漫画が少なくなった。ぼくは、シリアスで深刻な話を描いていて、フッと自分で照れたときに、童心にかえるつもりで、このヒョウタンツギを出してみるのだ。最近、これすらも、『邪魔だから、こんなものは止めてください』と投書してくる子供が多くなってきたのには、ぼくはなんとなくさみしい気がする」と手塚治虫が『ぼくはマンガ家』と嘆くその気持ちが彼にはよくわかる。「わからないことへの耐性の不足」は、森毅の『いまどきニッポン漂流術』によると、「『中途半端にできる学生』のレポート」を好む。わかる読者には即興的な装飾音を勧め、わからないから読まないのではなく、「わからないことへの耐性」を佐藤清文は読者に期待している。
 確かに、佐藤清文は剽窃の批評家である。けれども、そこにも倫理はある。われわれが敬愛するイギー・ポップの傑作をパクって大金を稼ぎながら、良心の呵責に悩まされないJポップのミュージシャンなんぞにはなりたくはないと彼は言っている。Shame on yourself!
 そこで、佐藤清文は、MP3のように、作品をデータ圧縮している。彼の作品は、本来、その十倍の分量を必要とする。大量に引用し、形成されてきた言説への「匙加減」を楽しむため、ロン・ポピール(Ron Popiel)のテレビ・ショッピングばりに、対象をめぐる主要な言説を一通り要約して、考察を語る。一種のインフォマーシャルだ。そのとき、局所的な相互作用の規則を認識し、それに基づいて作品を制作している。一九八〇年代に入って、テレビを見て育った世代が作家としてデビューする。彼らの文章は情報量が少なく、スカスカで、テレビの画面を思い起こさせる。テレビの画面は、インターネットに比べて、一枚あたりの情報量が極めて少ない。しかし、テレビはそれを画面の切り替えの速さで補っている。映画の一秒はフィルム二四コマとして換算される。映画のカメラの切り替えが最低八コマとすると、テレビでは約三コマに相当する。と言うのも、テレビは、撮影後にフィルムを編集するのではなく、現場のカメラの変換をスイッチによって瞬時に行うからである。八〇年代以降の作家はこうした情報量の少ない文章を展開の速さによって補うスタイルで書いている。他方、佐藤清文のハッチポッチ・クリティシズムは情報量が多く、インターネット的である。概して文章のスピードが速いものの、展開は、ハイパーリンクのように、離散的である。けれども、確かに、インターネットの普及からハッチポッチ・クリティシズムが発達しているものの、そこにとどまらない。彼のおとぼけ批評はマルチ・メディアであり、ハッチポッチ・クリティシズムが体現しているのはヴァーチャル・リアリティである。
f(x)=4x(1-x)
x(t+1)=4x(t)(1-x(t)), t=0,1,2,…
(S.M. Ulam & J. von Neumann "On Combination of Stochastic and
Deterministic Processes " )
 「ヴァーチャル(virtual)」の反対語は「リアル(real)」ではない。「名目(nominal)」がそれに相当する。名目の類義語は「仮想(supposed)」や「擬似(pseudo)」である。前者は仮に想定したものであり、後者は外見は似ているが、本質的には異なるものを指す。また、リアルの反意語は、「実数(real number)」と「虚数(imaginary number)」の関係が示している通り、「虚(imaginary)」である。ヴァーチャルは、むしろ、現実の類義語であり、それは表面的にはそう見えないけれども、本質あるいは効果において現実を感じさせるものを意味する。
 告白としての批評では一人称単数形の「私」が主語であるが、佐藤清文はそれを使わない。一人称複数形の「われわれ」と記している。告白は円であるとすれば、諷刺は楕円である。円は中心が一つであるが、楕円には焦点が二つある。それは自己と他者である。ハッチポッチ・クリティシズムは佐藤清文の批評だけを指すわけではなく、一つの集団的匿名である。佐藤清文が最も引用しているのは森毅の作品であり、森毅を通じて、さまざまな出来事や作品を見ている。批評を書き始めてすぐにそれに気がついている。森毅は批評のナックルボーラーであって、彼の作品はナックルボールとして味わう必要がある。「審判がナックルボールの判定をできるようになるまでには、最低四、五年はかかる。したがって、大リーグに入りたての私には当然どうしたらいいのやら見当がつかなかったのである。なんとかして最後まで目で追おうとするのだが、どうしてもそれができない。ともかく相手は、上がったかと思うと下がり、それから一気にプレートの上を通過するという代物なのである。『ストライク』とコールしてみるものの、すぐに自分でも疑問になる」(ロン・ルチアーの『アンパイアの逆襲』)。佐藤清文にとって、考えるために読むのは柄谷が道標だったわけだが。書くために考えるには森毅が最高である。ハッチポッチ・クリティシズムは、スパイク・ジョーンズ監督の『マルコヴィッチの穴(Being John Malkovich)』をもじるなら、「森毅の穴(Being Tsuyoshi Mori)」と呼べるだろう。そこには誰でも参加できる。ただ、加われるだけではない。その行為が「グリッド・ライティング・システム(Grid Writing System)」を形成する。ハッチポッチ・クリティシズムは、その意味で、「グリッド・クリティシズム(Grid Criticism)」である。佐藤清文は、森毅を読むために、ハッチポッチ・クリティシズムは生成している、あるいはハッチポッチ・クリティシズムを読むよりも、そこで引用されている森毅の言葉を楽しむ方がいいとさえ訴えているようだ。「人間が生きていくというのは、自己の物語を編修していくことだが、それが社会という編集者たちのなかにあるから、そのなかに自己は拡散して存在している。自己を実体化して世界をとざすより、複数の自己が世界にひろがっていくのが楽しい。トークで世界がひろがっていくのは、こうしたことがうまく進んだときである」(森毅『編集された自己』)。
V Warum sie so gute Bücher
schreiben.
 二〇世紀ほど批評が注目された時代は、歴史上、ないだろう。広義の文芸批評の歴史は文学の歴史と同様の長さを持っている。一九世紀の神の死に伴い、身分制が崩壊した結果、身分に立脚した思想は無根拠な運動に解体される。”Funny how gentle people get
with you once you're dead”(Billy Wilder “Sunset
Boulevard”).目指すべきコンセプトが先行するため、運動の公式や方程式の必要が迫られ、それを説く批評家がかつてないほど影響力を持つようになる。批評家は新たな運動展開を形成するだけでなく、その萌芽とさえなりうる。批評家は運動の前衛というわけだ。しかし、運動は神の死の下での思想であって、「ゴドーを待ちながら(Waiting for Godot)」(サミュエル・ベケット)という神の死の決定不能の時代においては、現象が思想となる。神の死の決定不能は前衛と後方の区別を消滅させ、漠然とした非線形的な集団的匿名をもたらす。批評家は、熱帯雨林だろうと、都市だろうと戦闘できるゲリラらとならなければならない。「闘士は、具体的実践を通じて、以前のものとは似ても似つかぬ新たな政治を発見する」(フランツ・ファノン『地に呪われたる者』)。そこで、批評は一つの文学ジャンルとして定着する。
 文芸批評は世界各地に見られる。ホメロスを酷評した古代ギリシアのゾイロスなどもいるものの、最初に体系的な文芸批評を試みたのは、現存するテクストを見る限り、アリストテレスである。彼は、『詩学』において、悲劇のもたらすカタルシスについて論じ、演劇においてプロットが一つのテーマに統一されなければならないと主張している。
 ローマ時代に入ると、ホラティウスがギリシア詩を参考に、精緻な詩論を展開し、古典的な詩学をほぼ完成させる。三世紀になって、アテネの弁論家ロンギノスは修辞学や文体論の領域で画期的な業績を残している。
 中世では、形而上学や神学の議論の中に吸収されていた批評は、ルネサンスを迎えると、ほかの学問同様、新たな動きを示すようになる。ダンテ・アリギエリは、『俗語論』(一三〇四−〇五)や『饗宴』(一三〇四−〇七)の中で、イタリア語の体現する美しさを生かした詩学を主張する。これは、後に発展する近代ヨーロッパの国民文学の先駆けである。また、イギリスのフィリップ・シドニー卿は、『詩の擁護』(一五九五)において、アリストテレスが『詩学』で使用した概念を頻出して、詩論を再構築している。ルネサンスの文芸批評はグレコ・ローマンの詩学を復活させると同時に、イタリア語や英語といった俗語でいかに表現するかを課題にしている。
 一七世紀後半になると、グレコ・ローマン文学の美的規範に基づきながら、国民文学を生み出そうとする新古典主義が登場する。この時代を代表する批評家はイギリスではジョン・ドライデン、フランスではニコラ・ボワローである。イギリス最初の桂冠詩人は古典時代の規範を尊重しながらも、ウィリアム・シェークスピア以来のイギリス文学の伝統を高く評価し、文学作品の自律的な価値を認める姿勢を示している。さらに、「批判者を持つことは優れた本にとって必須である」と言った批評家は、ジャン・ラシーヌと共に、「新旧論争」──古代人と近代人のどちらが優れているのかという論争──に際して、古代人の優越を主張し、文学作品を支配する法則の普遍性を強調している。彼は、アリストテレスの詩学を『詩法』(一六七四)において新古典主義的な美学として復活させている。
Qu'en un lieu, qu'en un jour,
un seul fait accompli 
Tienne jusqu'à la fin le
théâtre rempli. 
(N. Boileau, “Art poétique” chant III, vers 45 - 46)
 この二人を引き継いだイギリスのサミュエル・ジョンソンが、五二人の詩人の伝記と作品を分析した彼の『詩人伝』(一七七九─八一)を執筆し、新古典主義の批評を完成させる。ドイツのゴットホルト・エフライム・レッシングは新古典主義からロマン主義への橋渡しをしている。絵画と詩を比較しながら、それぞれの芸術としての機能を分析した『ラオコーン』(一七六六)は、新古典主義の美学の限界を示し、ロマン主義的な認識を先取りする。
 「世界精神」がヨーロッパを震撼させると、新古典主義に代わって、ロマン主義が登場する。ドイツでは、ヨハン・ゴットフリート・フィヒテやフリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨゼフ・フォン・シェリングなどが哲学的基礎付けを行い、アウグスト・ウィルヘルムとフリードリヒのシュレーゲル兄弟が指導的な批評家として新世代の文学者たちに影響を与える。イギリスにおいては、ウィリアム・ワーズワースとサミュエル・コールリッジが、詩論の分野でもロマン主義的な批評原理を展開している。マシュー・アーノルドは、グレコ・ローマン以来のヨーロッパ文学全体を視野に入れながら、宗教や倫理と文学の関係を追求している。フランスでは、最初の職業的な文芸批評家シャルル=オーギュスタン・サント=ブーヴが、心理主義的な立場から作家の伝記研究を作品分析と融合させ、新聞に連載した『月曜閑談』(一八五一─六二)および『続月曜閑談』(一八六三─七〇)において、近代的な批評を確立する。デンマークのG・ブランデスは、『十九世紀文学の主要思潮』(一八七一─九〇)で、ヨーロッパ文学の相互影響を広い視野で把握している。アメリカではラルフ・ウォルド・エマーソンやエドガー・アラン・ポーなどが、ロマン主義的な原理に基づいた詩論を書いている。
 十九世紀半ば以降、ロマン主義からリアリズムへと移行していく。フランスのイポリット・テーヌに代表されるような実証主義的な立場が強くなっている。この歴史家は環境を重視する科学的な文学研究の方法を構築し、エミール・ゾラの自然主義文学観に寄与している。また、ロシアでは、ヴィサリオン・グリゴリエヴィチ・ベリンスキー、ニコライ・ガブリロヴィチ・チェルヌイシェフスキー、ドミトリー・イヴァノヴィチ・ピーサレフといった急進的な批評家たちが、文学の社会的な役割と実利的な価値を重んじる立場をとり、当時の知識人に大きな影響を与えている。
 十九世紀末から二〇世紀初頭にかけて、ヨーロッパは象徴主義の時代に突入し、批評もリアリズム時代の実証的・実利主義的な立場を離れ、芸術の自律性を強調する傾向が強くなる。シャルル・ボードレールやステファヌ・マラルメなどのフランスの象徴主義詩人にとって、詩作と批評は不可分の関係にある。象徴主義の影響下から出発したポール・ヴァレリーは、批評精神と詩的創造を融合させた数多くの批評的作品を残し、二〇世紀初頭の文芸批評の一つの頂点をなしている。イギリスではW・H・ペーターが審美主義の立場から非常に凝った文体で批評を書き、詩的創造とほとんど対等な美の領域に批評を押し上げている。アーサー・シモンズはフランスの象徴主義をイギリスに本格的に紹介し、世紀末の文芸思潮の流れに大きく寄与している。
 二〇世紀以降、文芸批評は、言語学や文化人類学、精神分析、政治思想や新しい哲学の思潮といった隣接諸学の分野の成果を取り入れて、多種多様な新しい方法論を用いるようになり、より精緻化していく。
 ロシアでは、文学の思想と内容を重視する十九世紀以来の伝統的なリアリズムに対して、文芸学者のヴィクトル・シクロフスキーやユーリー・トゥイニャーノフ、言語学者のローマン・ヤコブソンが反旗を翻し、文学作品の形式面の構造を科学的に分析することを試みる。この流派は後に「ロシア・フォルマリズム」と呼ばれ、第二次世界大戦後、欧米で再発見され、世界的に大きなセンセーションとなる。
 フォルマリズムとは一線を画しながら、「対話的想像力」や「カーニバル」といった観点から独創的な文学論を構築したのが、マルクス主義者のミハイル・バフチンである。彼の改訂版『ドストエフスキーの詩学の諸問題』(一九六三)や『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』(一九六五)は、「バフチン・ショック」と言っていいほど、世界の知識人の間で話題になっている。
 ロシア・フォルマリズムのように、科学的な方法論をシステマティックに構築しようとしたわけではないが、ほぼ同じ傾向を目指した新しい文芸批評の波は、一九三〇年代のアメリカでも沸き起こっている。それは「ニュー・クリティシズム」と呼ばれている。ジョン・クロー・ランサム、アレン・テート、クリアンス・ブルックス、W・K・ウィムザット、ケネス・バーク、R・P・ブラックマーなど南部のアメリカの批評家が含まれるが、これに先行するイギリス側の批評家としてはT・S・エリオット、I・A・リチャーズやウィリアム・エンプソンなどがいる。
 ニュー・クリティシズムは、作家の伝記や歴史的背景、意図を分析の際に排除し、文学作品のテクスト自体を対象とする。テクストの構造やレトリック、イメージなどを分析することによって、北部で主流だった旧来の印象批評の限界を超えようとする企てである。
 その一方、文学作品の社会的・歴史的な文脈を重視するイデオロギー的な批評も大きな影響力を持ち続けている。その中でも最大のものはマルクス主義批評である。ハンガリーのジョルジ・ルカーチ、ドイツのヴァルター・ベンヤミンやテオドール・W・アドルノ、エルンスト・ブロッホ、イタリアのアントニオ・グラムシ、フランスのリュシアン・ゴールドマンやルイ・アルチュセール、イギリスのレイモンド・ウィリアムズやテリー・イーグルトン、アメリカのフレドリック・ジェームソンなどは、いずれもマルクス主義あるいはそれに近い立場の批評家である。
 シグムント・フロイトによって開拓された精神分析は、文芸批評の有力な方法として、さまざまな批評家に応用されている。カール・グスタフ・ユングの提唱した「神話的アーキタイプ」や「集合的無意識」といった概念も同様である。それらの概念を援用した現代版詩学大全『批評の解剖』(一九五七)で知られるカナダのノースロップ・フライは、ニュー・クリティシズムからその後の構造主義への道を作っている。また、フロイトの理論を構造主義的に読み替えたフランスのジャック・ラカンの精神分析学は、構造主義からポスト構造主義へと展開していく批評において不可欠である。
 戦後最大のスター知識人であるジャン=ポール・サルトルが代表する実存主義は、五〇年代から六〇年代にかけて、世界的に流行している。シモーヌ・ド・ボーヴォワールやアルベール・カミュ、モーリス・メルロ=ポンティなどの本は当時のモードである。
 フランスでは、一九六〇年代半ばに「新批評(ヌーベル・クリティーク)」と呼ばれる勢力が活発になる。これは硬直したアカデミックな実証的批評に対抗して登場した同時代的な文学批評の総称であり、そこには実存主義批評、マルクス主義批評、精神分析、構造主義といったさまざまな立場が含まれている。中でも、ガストン・バシュラールは、「テーマ批評」、すなわち作品の中に表われる「火」・「水」・「夢」といった詩的イメージを精緻に追求した新批評の先駆者である。ジャン=ピエール・リシャールやジョルジュ・プーレといった批評家も、バシュラールに多くを負っている。他方で、ロシア・フォルマリズムの再発見、フェルヂナン・ド・ソシュールやヤコブソンの言語学、クロード・レヴィ=ストロースの文化人類学、ラカンの精神分析学などを背景にして、構造主義の方法論が文芸批評にも応用される。ロラン・バルトやジュリア・クリステヴァ、ジェラール・ジュネット、ミシェル・フーコーなどがその代表である。
 構造主義的な思考は文学作品のみならず、文化全般を記号の体系と捉える記号学的な分析の手法を発展させる。イタリアのウンベルト・エーコ、ソ連のモスクワ・タルトゥ学派のユーリー・ロートマンやビヤチェスラフ・イヴァーノフも、文学作品の分析に関して文化記号学の立場から成果をあげている。
 しかし、一九六〇年代ごろから、構造主義はフリードリヒ・ニーチェを知的源流にするポスト構造主義に押されていく。ジル・ドゥルーズと並んで、ポスト構造主義を代表する哲学者ジャック・デリダは、音声中心主義、ロゴス中心主義、現前の形而上学といった西欧を伝統的に支配してきた理論の枠組みを根底から批判し、「脱構築(ディコンストラクション)」を提唱している。この方法は、七〇年代から八〇年代に亘り、特に、アメリカで、ポール・ド・マンをゴッド・ファーザーとするイェール学派によって文芸批評に応用される。脱構築をとりいれた文芸批評は、文学テクスト自体に内在する矛盾に着目し、文学テクストに統一的な意味を見出すことは不可能であると断言する。
 また、一九六〇年代後半には、読者が作品をどう読むかという側面を文学作品の成立に不可欠な要素として強調し、研究する受容理論が提唱される。これを提唱したのは、ドイツのハンス・ロベルト・ヤウスやW・イーザー等コンスタンツ学派であり、アメリカではスタンリー・フィッシュの読者反応批評も同様の方向を追求している。
 一九八〇年代、アメリカでは、脱構築派が勢いを失い、代わって、新歴史主義が台頭する。これは歴史の文脈に立ち返って文学テクストを検討しようとする社会的・政治的側面を重視する点が特徴である。また、『オリエンタリズム』(一九七八)の著者エドワード・サイードを先駆者とするポストコロニアル批評も有力になってきている。これは新旧の植民地主義を批判し、第三世界の文化、東と西の文化接触といった問題を積極的に検討しようとする政治的な志向の強い批評である。主として男性の立場からこれまで書かれてきた文学を女性の立場から根本的に読み直そうとするフェミニズム批評も、一九八〇年代以降、アメリカを中心に戦闘的な活動を見せている。
 東西冷戦崩壊後、今まで言及してきた批評がさらに分派し、あるいはマイナーな批評が顕在化して一般にも知られるようになる。カルチュラル・スタディーズやクイアーなどがそれに含まれる。大きな批評の流れは特になく、無数の小さな流れがあるだけである。
 諸子百家やソフィストが示しているように、思考の乱立状態は創造的かつ刺激的であるはずだが、現状は必ずしもそうではない。物事の根本はシンプルであるけれども、九〇年代にドサクサ紛れに登場した批評家はそれが明らかになっては困るから、複雑化しているにすぎない。二〇〇一年以降、以前から勢力拡大を狙っていたファンダメンタリズムや暴力主義、新保守主義といった極端な発想が台頭し、批評家はそれに対抗しつつも、無力感を覚えている。批評が力を持つようになった結果、批評もドラッグとして機能する危険性をはらむようになる。ドラッグは、何もしていないのに、何かをしているような感覚を味合わせてくれる。批評が知識人のドラッグに陥っていたのが顕在化したのである。しかも、信じられないことに、新たな動向が生まれようとも、いまだに、文芸批評では、「答え」ではなく、「問い」を発することが重要だというアンリ・ポアンカレ流の十九世紀的な姿勢が蔓延している。二〇世紀において、思考に必要なのはアルゴリズムであって、「問い」ではない。権威主義に陥らずに、それを克服するには雑草のようにはびこるほかない。「雑草は未開の広大な空地の間にしか存在しない。雑草が空隙を埋める。雑草は他のものの間に──隙間に生える。花は美しく、キャベツは有用で、けしの実は錯乱させる。だが、雑草ははびこる、それが教訓だ」(ヘンリー・ミラー『ハムレット』)。批評はさらに小さくなっていかざるを得ない。そこにこそ新たな現象としての批評が生まれてくる素地がある。現代は非線形の時代だからである。
T´ain´t no big thing
To wait for the bell to ring
T´ain´t no big thing
The toll of the bell
Aggravated - spare for days
I troll downtown the red light
place
Jump up bubble up - what´s in
store
Love is the drug and i need to
score
Showing out, showing out, hit
and run
Boy meets girl where beat goes
on
Stitched up tight, can´t shake
free
Love is the drug, got a hook on
me
Oh oh catch that buzz
Love is the drug i´m thinking
of
Oh oh can´t you see
Love is the drug for me
Late that night i park my car
Stake my place in the singles
bar
Face to face, toe to toe
Heart to heart as we hit the
floor
Lumber up, limbo down
The locked embrace, the stumble
round
I say go, she say yes
Dim the lights, you can guess
the rest
Oh oh catch that buzz
Love is the drug i´m thinking
of
Oh oh can´t you see
Love is the drug, got a hook in
me
Oh oh catch that buzz
Love is the drug i´m thinking
of
Oh oh can´t you see
Love is the drug for me
(Roxy Music “Love Is The Drug”)
 われわれをわくわくさせてくれるハマシャー・シュレマー社(Hammacher Schlemmer)や通販生活の通販カタログさながらに、批評の歴史を振り返ることはなかなか難しい。西洋中心の偏った批評の歴史をたどったが、日本における広義の文芸批評は伝統的には歌論として行われている。紀貫之や藤原定家の歌論は長い間影響を与えている。江戸後期、本居宣長は中世以来の教訓的な文学観を批判し、「もののあはれ」を文学の本質と主張している。王朝時代の様式美を絶対化した点などは、古典古代を賞賛したボワローの立場と似ているが、明治以前、漢学が学問の主流であり、国学はマイナーな学問であったため、かのフランス人と違い、宣長の影響力は限定される。そもそも、「もののあわれ」にしても、室町時代以前の公家文化、すなわち一時代前に伝来した大陸文化にすぎない。
 明治になると、西洋の思想を導入しながら、近代的な文芸批評も急速に発展する。坪内逍遥は、『小説神髄』(一八八五−八六)で、リアリズム小説観を確立し、正岡子規は俳句や短歌の伝統的な定型詩を文学の中に位置づけ、近代的な文芸批評の対象としている。また、北村透谷を代表とする「文学界」グループは、ロマン主義的な文学観を日本に移植している。文学論争も盛んに行われ、近代文学形成に向けた原動力となっている。
 大正時代に空前の出版ブームが起こり、マルクス主義的批評が有力となる一方で、新感覚派に代表されるようなモダニズムの理論も台頭する。こうした状況下、マルクス主義的文学観を批判し、エッセー・スタイルの独自の批評、告白としての批評を考案したのが、小林秀雄である。彼の登場以降、発達した文学産業を背景に、日本の文芸批評は文学作品の解説を超え、一つの自律した文学ジャンルになる。
 その後、現代に至るまで、オーソドックスな伝記的アプローチに新しい文学理論をミックスするタイプを主流としながら、さまざまな文芸批評家が登場する。平野謙、中村光夫、花田清輝、福田恒存、吉田健一、吉本隆明、江藤淳、山口昌男、蓮実重彦、柄谷行人など立場も方法も異なる批評家だが、いずれも現代日本文学を考える際に欠かせない。
 蓮実=柄谷の次の世代は浅田彰や中沢新一、上野千鶴子等であるけれども、後継の批評家を生み出すことはなく、文芸批評家の系譜はここで途切れたままである。日本の批評の理論と実践は大学の文学・思想研究者が欧米の理論と実践から吸収したものと出版産業が要求するもの、すなわちアカデミズムとジャーナリズムの折衷であり、彼らのニュー・アカデミズムはその頂点である。ただ、ジャーナリズムの比重が高いのが日本批評の特徴である。文芸批評はアマレスではなく、プロレスというわけだ。今でも文芸批評家は多く登場しているが、文学論争はできても、後継の批評家が続くことはない。出版不況と共に、大きな文芸批評家の時代の終焉を迎えている。これも世界思想の現状の反映だろう。
Now you're talking in headlines
Up to the minute and free
Stop press, hold the front page
Up as a mirror
Are you reading me?
Watch you walking in waltz time
A jigsaw puzzle in tune
Or are you faking a straight
line
To suit yourself too soon?
Rather nouveau than never
Contemporary ideal
Some natural kind of poet might
slow it
But she sells more my speed
She sells country and modern
Ancient western song
Of oriental confusion
You so right, me so wrong
Now you're fixing to fly me-
Auto-erotic, please,
On the break that you're
gliding.
Your lingerie's a gift-wrap
Slip it to me
The daily grind
Made-up lies
Make up my mind
Same machine consuming you
Consuming you
Oh why
She sells
I need
Oh why love why
She sells
I need.
(Roxy Music “She Sells”)
W Warum sie ein Schicksal sind.
 以上述べてきた批評の歴史と現状を考慮して、佐藤清文の唱えるハッチポッチ・クリティシズムを一言で要約するならば、それは「肯定批評」である。” More than any other time in
history, mankind faces a crossroads. One path leads to despair and utter
hopelessness. The other, to total extinction. Let us pray we have the wisdom to
choose correctly”(Woody Allen).別に、佐藤清文は、I・M・ナッツ教授(Prof. I. M. Nuts)と違い、自分の考案した作品ですべて解決するなどと主張しているわけではない。自画自賛が好きなせいだろう。ジェームズ・ブラウンのような白い歯をニカっと見せる笑顔が喜ばしい。一切否定しない。ただ肯定するわけではない。肯定=否定の二項対立を克服した大いなる肯定である。
好きです 好きです 好きです 好きです よし子さん
キッスさせて
いいじゃないのさ
なぜ逃げるのさ
キッスさせて
(林家三平『ヨシコさん』)
 かつて佐藤清文は、仮想敵を想定する戦略的な読み、すなわち「定説ではこのように言われているが、実はこうである」を主張するいささか強引な読みをしている。しかし、当時流行したこのアイロニーは東西冷戦の反映にすぎない。彼は、今、教条主義的・原理主義的な読解を追及し、林家三平のように、ガルゲンフモールを語る。ハッチポッチ・クリティシズムは、その意味で、「クリティシズム・バイ・ザ・ナンバーズ(Criticism by the Numbers)」である。
 それは脱構築のように「まだ思惟されていないもの」を読み、その体系を破綻させる試みではない。彼は「すでに思惟されているもの」を読んでいるにすぎない。モードの産物である新しさ=古さの二項対立は決定不能に陥っている。批評において、最も重要なのは対象のポイントを押さえることである。「要点をつく(tetigisti acu)」(ティトゥス・マッキウス・プラウトゥス)。基本を大切にしなければならない。ハッチポッチ・クリティシズムは「酔拳」であり、
 ハッチポッチ・クリティシズムは広義のコミュニケーションを読解対象とする。コミュニケーションは何らかの共通規範に基づいて成立するが、そこではリテラシーが不可欠である。映画には映画のリテラシーがあり、スポーツにはスポーツのリテラシーがあり、科学には科学のリテラシーがあり、文学には文学のリテラシーがある。
 これがわかっていないで、いい作品が書けたとしても、それはフロックにすぎない。少なくとも、セレンディピティにする必要がある。「理想の環境を求めず、現在の環境もいくらか居心地が悪く、そこをやりくりしていく生活。そうした感性で環境のことを考えている」(森毅『理想なしの環境派です』)。
 佐藤清文は、肯定批評としてのハッチポッチ・クリティシズムの目標を「アンチエロティシズム」において谷崎潤一郎を論じながら、次のように述べている。
 谷崎の小説は、終わりに近づくにつれ、作品自体にすみついていた微生物によって、分解されていく。そして、読み終わった瞬間から発酵・分解が始まるのだ。谷崎を読む犀に、この隠れた微生物たちを考慮しなければならない。構築性の強い作品に無数の菌類や微生物が寄生している世界を描くことを通じて、谷崎はこの寄生生物の視点からの考察をわれわれに勧める。寄生生物がいなければ、動物も植物も生きられない。「生とは死を組みこんで成立している。菌と植物、あるいは菌と動物の共生というより、それは生と死の共生でもある「(森毅『キノコの不思議』)。寄生生物は分解と同時に生産と消費も行っているのだ。もしくは、生体内で生ずる化学反応の触媒となる酵素としての生き方だってよいだろう。マゾヒストは、菌類のように、微生物のように、酵素のように、分解者・還元者として生きる。毒があったとしても、それを避けるのではなく、生命体にとって有用なものへと変換することこそ望ましい。ビタミンB12は人間の体内で血液をつくるのに必須な栄養素であるけれども、動物も植物も合成できない。微生物だけが合成できる。アミノ酸や遺伝子の塩基を構成する窒素は大気中に豊富にある。しかし、窒素は三重結合を持つ安定した物質なので、これをアンモニアに変換しなければ、植物はアミノ酸を合成できない。空気中の窒素を利用可能なアンモニアにする「窒素固定」を行っているのも微生物である。動物は、その結果として合成されたアミノ酸を摂取して、タンパク質や核酸をつくっている。「生育環境にきわめて順応性が高く、生きるためには必要とあらば超能力を発揮する微生物は、この広い地球のすみずみに、びっしりと生育している(略)。そこでは驚くべき種類と数の微生物が、この地球の浄化と維持のために寸分の休みもなく発酵作用を営んでいる」(小泉武夫『発酵』)。微生物はいかなるところにも棲んでいる。もしかしたら、宇宙にも。われわれはもっと微生物の思考、微生物の態度を持つ「必要」がある。思考の座標を変えるのだ。この実践的態度は既存の意味を分解・無化する転換の悦楽の政治学・経済学、寄生虫・菌類・微生物・酵素の政治学・経済学、すなわちユーモアの政治学・経済学を創出する。
 スターリニズムを否定しようとすれば、逆に、それを権威化してしまい、蘇らせてしまう。むしろ、それを肯定し、無毒化してしまう方が効果的である。ガルゲンフモールを放つのだ。微生物はふぐの毒も無毒化してしまう。批評はそれを学ぶべきであろう。ハッチポッチ・クリティシズムは「寄生虫・菌類・微生物・酵素」としての批評である。佐藤清文の批評には独自性はない。あくまで、それは、酵素が示している通り、「触媒(Catalyst)」である。触媒は自身は科学的に変化せず、添加により化学反応の速度を変換する物質である。反応によりその物質の化学的性質は変化しない。最も強力な触媒である酵素は生体内で重要な役割をしており、有機物のほとんどが壊れてしまうような温度を必要とする反応を促進させることができる。こうしたことこそ批評に求められる姿である。
 佐藤清文が公開しているハッチポッチ・クリティシズムの各作品はハイパーリンクで結ばれた「ハイパー・クリティシズム(Hyper Criticism)」であるが、そのネットワークはニューロン・ネットワークではなく、消化器官などで見られるなどでホルモン・ネットワークである。脳を比喩として思想を提起する傾向があるけれども、脳は外界と直接接触しない。「脳は腸からはじまった」(藤田恒夫『腸は考える』)のであって、むしろ、腸を比喩として考えるべきだろう。外界と接触しているのは、皮膚・消化器官・呼吸器官である。そこでは微生物が人間が共生している。ハイパー・クリティシズムは共生の批評である。「人間を含めてすべての生命は体のなかに死をくみこんで生きている」(森毅『死を思え』)。
At first I was afraid, 
I was petrified, 
Kept thinking I could never
live without you by my side, 
But then I spent so many nights
Thinking how you did me wrong, 
And I grew strong, 
And I learned how to get along.
And so you're back, 
From outer space, 
I just walked in to find you
here with that sad look upon your face, 
Should I have changed that
stupid lock, 
Should I have made you leave
your key, 
If I'd've thought for just one
second you'd be back to bother me, 
Oh and now go ! 
Walk out the door ! 
Just turn around now, 
'Cause you're not welcome
anymore ! 
Weren't you the one who tried
to hurt me with goodbyes, 
You’d think I crumbled, 
You’d think I laid down and
died ? 
Oh no, not I, 
I will survive, 
For oh as long as I know how to
love, 
I know I am still alive. 
I got all my life to live, 
I got all my love to give, 
And I survive, 
I will survive ! 
It took all the strength I had
not to fall apart, 
Kept trying hard to mend the
pieces of my broken heart, 
Now I spent oh so many nights, 
Feeling sorry for myself, 
I used to cry, 
But now I hold my head up high.
And you see me, 
Somebody new, 
I am not that chained up little
person still in love with you, 
And now you felt like dropping
in 
And expecting me to be free, 
Now I am saving all my loving
for someone who's loving me. 
Oh and now go ! 
Walk out the door! 
Just turn around now, 
'cause you're not welcome
anymore ! 
Weren't you the one who tried
to hurt me with goodbyes, 
You think I crumbled, 
You think I laid down and died
? 
Oh no, not I, 
I will survive, 
for oh as long as I know how to
love, 
I know I am still alive, 
I got all my life to live, 
I got all my love to give, 
And I survive, 
I will survive, yeah yeah! 
La la la la la ...
 (Gloria Gaynor “I Will Survive”) 
 先に触れたいささか奇異な佐藤清文の文体は、この分解と共生の批評という発想から導き出された実践である。「代替案としての文学」以降、彼の文体の特徴は現在進行形や現在完了形を含む現在形に時制がほぼ統一され、動詞を中心にした構文である。それは読み手に対して説得の熱心さを欠いている印象を与える。文芸関係の編集者にとって好む文体ではない。確かに、説得にはあまり興味がなく、森毅による影響から、納得を重視しているが、この戸惑いを覚えさせる文体はいささかぶっきらぼうにさえ見受けられる。接続詞も、論理展開を加速させる目的では、ほとんど用いられていない。しかし、これは明らかにある意図に基づいている。日本語だけでなく、他の言語と比較して、彼の文体の効果が理解できる。
 佐藤清文は、「The End of Asia」において、二葉亭四迷のロシア語からの翻訳によって生まれた近代日本文学の過去形と現在形の混在について、志賀直哉の『網走まで』を例にして、次のように述べている。
 男の子は不承々々うなづく。母は又それを出して子の手へ四粒ばかり、それをのせた。「もつと」と男の子が云ふ。母は更に二粒足した。
 日本語では体は概して強くない。日本の作家は、その代わりに、時制的な見方と体的な見方を時制によって区別して表現するようにしている。志賀直哉は母親の動作に対して過去形を用い、即物的に記し、子には現在形を使い、「不承々々」が示している通り、「動作を話し手や書き手がどう見えるか」が描写されている。過去形は時制的な見方、現在形は体的な見方を具現化している。
 西洋近代小説の時制は、基本的には、過去形である。近代日本の言文一致が二葉亭四迷のロシア文学の翻訳を通じて行われたため、時制の他にスラブ語特有の体を考慮しなければならなくなってしまう。「二葉亭はロシア語における体の時制に対する優先性を認識し、完了体と不完了体のニュアンスの違いを日本語に訳す目的で、現在形と過去形が混在する文体を選択した結果、体と時制が混在してしまう。ところが、この翻訳が日本文学に別の効果をもたらすことになる。過去形が原則であり、そこに現在形を挿入したため、現在形に作者の主観的な認識が帯びるようになってしまったのである」(「The End of Asia」)。佐藤清文は講談社文芸文庫の年譜を何度か作成しているが、そこで体言止めを採用している。それにより、その問題を回避すると同時に、具体性を強調する中国語のニュアンスを出そうとしている。ただし、彼の場合、中国語と言っても、現段階では、「七大方言」ではなく、あくまで共通語にすぎない。中国語には、動作の姿を描く相(アスペクト)(Aspect)はあるものの、時制(テンス)(Tense)がない。さらに、中国語では、数量を軸にした修飾語の構成や対感覚によって表現する慣習があり、その感覚をとりいれる佐藤清文は数量や二項対立を強調する時代に対するパロディを試している。戦後、新たな書き言葉は新しく交わされる話し言葉を写すことによって生まれる傾向にあるが、佐藤清文は他の言語を参考にして文体を編み出している。過去形の代わりに現在形ばかり使うと、即物性が失われ、「動作を話し手や書き手がどう見えるか」が強調され、押しつけがましいと読者には受けとられる。しかし、それは日本近代文学形成の過程が隠蔽された結果にすぎない。佐藤清文の文体は近代日本文学の修辞法のパロディである。最も初期の言文一致運動には明治までなかった政治演説を伝えるのにふさわしい文体を生み出すという動機があったため、活字メディアを通じた表現は、概して、声高であるけれども、彼は自説を主張し、自分の信者を扇動するのではなく、そのクールで、隙間の多い文体を通じて、読者に考えることを任せている。「秘すれば花なり秘せずは花なるべからず」(世阿弥『風姿花伝』)。作品はあくまでもたたき台でしかない。それは彼がサインを求められたのはわずかに二回だけという点からも納得できる。彼の作品のタイトルと内容の関係はジョン・G・アヴィルドセン監督の『セイヴ・ザ・タイガー(Save
The Tiger)』(一九七三)並みと付け加えておかなければならない。それにしても、あの名前ゲームの素晴らしさと同時に、この映画の日本における不遇さは彼とダブって見える。佐藤清文に対する批判のほとんどは正しい。従来の批評の文法に囚われていると、佐藤清文の文体は読者にとって短期で不親切なものでしかない。けれども、これが新たな批評の文法だとわかると、別の姿が見えてくる。百科事典やニュース・テロップのような感情移入しにくい文章が挿入されている通り、近代化と共に形成されてきた日本語のパロディであるだけではない。論理展開が因果関係に従属せず、それぞれの文章は配置されていることによっいぇ機能し、相関性の強調はカオス性を体現している。
 研究のアプローチは、精神医学を例にとると、三つに大別できる。第一に、病理学的・臨床的アプローチである。それは、精神分析を代表に、非人工的・全体的・深層的に現象を把握できる反面、主観的印象・解釈に偏りやすいという傾向がある。第二に、現在の主流の方法論である相関的・測定論的アプローチがあげられる。多くの変数を扱えるため、多様な関係性を認識できる。ただし、因果関係を説明するのには向いておらず、問いに対して自己解答的な結論に陥りやすい。第三に、行動主義が示している実験的・操作的のアプローチである。特定の変数に限定するため、データの妥当性を高められ、因果関係を明確化できる。個別研究には適しているものの、人工的な状況を前提にしている以上、その結論を一般化することは困難である。それぞれに長所と短所を持っているので、通常はこの三つのアプローチを融合させて、対象に向かうが、複雑化・多様化した状況を反映して、変数を多くカバーできる相関的な方法論が好まれている。この三種類の手法の傾向は日本の批評にも見られる。従来、先に述べた通り、文芸批評は主観的な印象や因果関係を主題にしてきたが、柄谷行人以降、相関性志向が主流となっており、佐藤清文もそれを踏まえている。
 “There’s an old saying in Tennessee…I know
it’s in Texas, probably in Tennessee…that says, fool me one, shame on…shame on
you. Fool me…you can’t get fooled again”.
(George W. Bush)
 “Fool me once, shame on you.
Fool me twice, shame on me”.声高な狭量さが静かなる寛容さを圧殺しようとしている現代では、大量の問題が生み出され、使い古されて、滞積しすぎている。リサイクルやリユースも批評にもそろそろ必要だ。それくらい太っ腹でもいいだろう。小さな「寄生虫・菌類・微生物・酵素」としてはびこり、分解という観点から作品を読む。すべては尊厳死を求めている。神さえも。ハッチポッチ・クリティシズムは「神の尊厳死(God's Death with Dignity)」に備えた批評である。気がつかれないかもしれない。しかし、これは、もし気が向いたら、省みてもいいオルタナティブを追求する「もう一つの批評の世界(The World of Yet Another
Criticism)」である。批評は「補助線と切り口」(森毅『もう一つの批評の世界』)がすべてであると言ってよい。「幾何で用いる『補助線』という言い方をするんですが、補助線を一本引くと、景色が変わって図形が見えることがある。うまい補助線が見つかったら、非常に書評しやすいんです。こういう補助線を引くと、この本の読み方の風景がこう見えると。そういう見方をすると、『けっこうこの本、おもしろく読めたよ』という、いわば読み手を拡げるような面があると書評がやりやすいんです。それがちょっとくせになってまして、書評に関係ない本でもこれは書評するべきかするべきでないか、書評するとしたら、どこを切り口にしてするか、なんぞ補助線ないかいなということを考えながら読んでいます。だから書評で回ってきた本でも、読み終わった頃は書評のイメージができているんです」(『もう一つの批評の世界』)。ジェラール・クラウジェック監督の『WASABI(Wasabi)』を見た際、映画としてはかなりつらかったが、新宿や日本の若者をキッチュなノイズとして効果的に使われているのに彼は感心している。素材に対する評価ではなく、それをいかに生かすかを考えなければいけない。バブル経済崩壊以降、欲望のインフレ、すなわちモードは効力を失う。もはやなくてはならないものなどなく、なくてもいいけれど、あってもいい。決定的なものはない。すべては決定不能性に置かれている。もっとも人間は飽きる。インフレにも、デフレにも、決定不能性にも。「本人の意図をそのまま受け取ったというんじゃなくて、本人の意図を超えて、拡がりを持たせてもらえたというのが嬉しいのです。本来、批評とはそういうものではないでしょうか。作品というものをいかに拡げるかというところに批評はあると思うのです。ある意味で言えば、小林秀雄さんというのはそういうことをした最初の人です。(略)つまりいろいろな本を読んでも、それがよかったか悪かっただけではなく、それに対してプラスアルファで拡がるところがないとだめだと思います。ぼくはどちらかと言えば、褒める書評ですから、けなす批評が出ないと嘆く人もいますが、そういうことを言うのは評価主義の人です」(『もう一つの批評の世界』)。
I see life and it's passin'
right before my eyes
And the past is the past don't
regret it, time to realize
I need to walk on the wire just
to catch my breath,
I don't know how or where but
I'm goin' it's all that I have left
It don't matter where it takes
me
Long as I can keep this feeling
runnin' through, my soul
Never took this road before --
destination unknown
Oh oh oh ohohoh -- destination
unknown
Won't be coming back this way
gotta go it alone
Oh oh oh ohohoh -- destination
unknown
See a chance gotta take it
wanna meet my fate
'Cause the last thing I ever
wanted was to find out it's too late
No way out when you're in it
deeper than the night
There's a light at the end of
the tunnel and I see it burning bright
It don't matter where it takes
me
Long as I can keep this feeling
soarin' through, my soul
Never took this road before --
destination unknown
Oh oh oh ohohoh -- destination
unknown
Won't be comin' back this way
gotta go it alone
Oh oh oh ohohoh -- destination
unknown
(Marietta “Destination Unknown”)
 – Haben sie uns verstanden? – Tsuyoshi Mori gegen Memento Mori...
噂に聞いたパンチ力 どうしちゃったの 
熱く野次られお尻を あぁ燃やして 
いかにも打つような 大胆不敵な構え 
当たりゃデカイが バットは宙を切る 
その気にさせないで もうこれ以上 
期待するのが辛いから 
その気にさせないで もうこれ以上 
人生 無駄にはしたくない
(クレイジー・パーティー『がんばれ!!タブチくん!!』)
〈了〉